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先祖は因島村上水軍の家老

源 吉親(後の福羅文左エ門)は因島村上水軍・源 朝国の第一家老で青影城の城主・二千六十九石を領した軍奉行であった。

福羅家家系図:福羅家は第62代村上天皇を元祖とする清和源氏流村上源氏の末裔となる

豊臣秀吉との反目 福羅家となる

天正の頃、村上水軍は豊臣秀吉の海賊禁止令により各種の制圧をうけていた。
源 吉親は身の危険を感じ当時・因島青影城主であったがその身分を捨てて野に下り天正15年(1587)「佐島の福羅地区」に身を隠した。また村上姓では秀吉に迫害される恐れがあるため、移り住んだ佐島・福羅の地名より福羅姓に改めた。

鵜島福良家の開祖

佐島に移り住み「村上」から「福羅」に改姓したあと、代々佐島で暮らしていたが鵜島福羅家の開祖・福羅弥三右エ門が明暦元年(1655年)にすでに佐島村から島の番人として派遣されていた息子(長男)の勧めもあり織田家の開祖・織田信義と共に佐島から鵜島へ入植した。

福羅弥三右エ門の墓:島の南にある墓地 鵜島福羅家の開祖 福羅弥三右エ門の墓

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